川上久智

川上 久智(かわかみ ひさとも、生没年不詳)は戦国時代から江戸時代の武将。島津氏の家臣。川上氏庶流。久右衛門。川上忠智の三男。養父は川上忠里(盲虎斎)。子は川上休右衛門。

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生涯

川上忠智の三男として生まれたが、盲目の叔父・忠里の養子となった。

天正14年(1586年)の「戸次川の戦い」で島津軍が勝利した後、島津家久の命で、干潮の為に船が動かせずにいた長宗我部元親の元へ赴き、元親の嫡子・信親を討ち取ったのは戦場の習いで已むを得なかった旨を伝える使者となった。その後、九州の役では諸所で軍功を上げている。

島津忠恒に従い朝鮮の役に従軍。慶長3年(1598年)、泗川城より5里離れた猿羽見(永春県)の番を任されていたところに明軍の大軍が押し寄せた為に泗川城に引き上げたが、この合戦(泗川の戦い)で実兄の川上忠兄らと奮戦し大功を上げた。

慶長4年(1599年)より京都伏見住まいを命じられていたが、その翌年に「関ヶ原の戦い」が起こり島津義弘の陣に馳せ参じた。またその退却戦で兄の忠兄、甥の川上久林らと奮戦、後に「小返しの五本鑓」の一人に数えられる。

薩摩国帰国後に病死した。没年は不詳であるが、慶長13年(1608年)に人吉藩主・相良頼房への使者を務めており、江戸時代の初期までは存命していたようである。法名は「罹雲常林居士」。

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